2006年10月01日

長い低迷から抜け出した外資の雄 クリニーク

日本の百貨店化粧品市場において10年近くの間、売上減少が続いてきた「クリニーク」ですが、ここへきて復活のきざしが見えてきています。04年、05年と減少幅が小さくなり、06年に入ってからは横ばい状況からプラスに反転。国際商業によるデータを集計すると、全国の有力百貨店13店※の今年上半期の「クリニーク」の販売金額は、前年対比103%となっています。

化粧品業界「クリニーク」といえば、かつては常に百貨店の化粧品フロアで売上トップにあった輝かしい歴史がありますが、その誕生当時は決して順風満帆だったわけではないようです。

エスティローダーが米国で「クリニーク」を発表したのは、今から38年前の1968年。基幹ブランド「エスティローダー」のターゲットより若く、また自分の肌の状態に関心のある女性をターゲットとし、医学的に安全で、最先端の化粧品として売り出されました。販売員が白衣を着て、客の肌診断を行いスキンケアの方法を提案するスタイルは既に当時から始まっています。

「クリニーク」を独自のブランドとして育てるために、あえて知名度のある「エスティローダー」の売場とは離れた場所で展開したことあり、当初は売上が上がらず、「クリニーク」は数年にわたって損失を出し続けました。しかし同社は損失を被りながらも更に積極投資を続け、ブランド育成の努力を続けます。その結果、70年代半ばから売上が急増、80年代始めにはフォーブス誌が「クリニーク」を高級スキンケア化粧品市場の”walkaway winner”(楽勝プレーヤー)と賞賛、その後、同ブランドは全盛期を迎えることになります。

化粧品業界このように、粘り強い努力によって事業を成功させたわけですが、それができたのは同社が非公開の企業であり、短期の結果を求められる資本市場からの圧力が少なかったからだと経営陣は振り返っています。

そして、現在の日本において、過去約10年という長い低迷から抜け出してきた「クリニーク」ですが、その背景には次のような改革があったようです。

第一に、クリニークコンサルタント(BA)の評価を購買客数ではなく接客数で計ることに変更し、売上よりも、まずは1人でも多くの人にクリニークを知ってもらうことに重点を置いた接客を展開したこと。第二として、それまで商品写真のみだった広告ビジュアルに創業以降初めて女性モデルを起用、雑誌やリーフ、店頭VMDに大々的にビジュアル展開することで、エイジングしたブランドイメージの若返りを図ったこと。そして、第三に、販売員(BA)の制服を白を基調としながらも、従来の白衣とは異なる独自のスタイルに変えたこと。それにより顧客へ与える印象が和らぎました。

以上に加え、日々の販売努力など様々な要素があると思いますが、少なくともそれらの相乗効果により、クリニークのコーナーには賑わいが戻っており、スキンケアや美白ラインの売上の底上げに繋がっていると思われます。また昨年発売のマスカラは、その広告ビジュアルがやや度が過ぎている感もありましたが、商品力があり高い人気を維持しています。今後「クリニーク」が本格回復基調に乗っていくには、新しい世代の顧客をより多く獲得していくことが必要だと思います。

※文中の全国の有力百貨店13店:
新宿伊勢丹、梅田阪急、札幌大丸、新宿高島屋、新宿京王
日本橋三越、日本橋高島屋、銀座松屋、横浜高島屋、名古屋松坂屋、 京都大丸、大阪高島屋、心斎橋大丸、神戸大丸、福岡岩田屋

■クリニーク 06年7月 百貨店10店舗 売れ筋ランキング
クリニーク売れ筋

<出典・参考資料>
国際商業
ザ・ブランド―世紀を越えた起業家たちのブランド戦略
HBSケース


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