2006年02月15日
ランコムの躍進Vol.4:外資系化粧品ブランドの日本上陸
現在のように、日本の百貨店で外資系高級ブランド化粧品が展開されるようになったのは、1978年のクリニークの上陸に端を発します。ランコムの分析の前に、まずはその土俵となる日本の百貨店プレステージ市場がどのように誕生したのか見ていきたいと思います。
日本に外資系化粧品メーカーが本格的に進出してきたのは、外国化粧品メーカーの国内自由販売が開始された1952 年からです。1949 年のマックスファクターを皮切りに、1958 年にジョンソン&ジョンソン、1963 年にレブロン、ロレアル(ヘアケア事業) などが日本市場への参入を果たしました。マックスファクターとレブロンは一時、日本市場において急激にシェアを拡大していきましたが、結局、資生堂や、カネボウといった国内大手メーカーには及びませんでした。
その理由としては、売上増を求め百貨店にとどまらず化粧品店、薬局、スーパー・マーケットへとマス展開した結果、ブランドが大衆化し、マス展開で先行する資生堂など巨大国内メーカーとの差別化ができなくなったことがあげられます。そんな中、1978 年に皮膚化学を取り入れた化粧品として日本に上陸したクリニークは、既存の外資系化粧品メーカーとは異なったブランド戦略を取り入れ、日本市場で成功を収めました。クリニークは、日本の化粧品市場に、初めて米国流のブランドビジネスを持ち込んだのです。(続く)
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日本に外資系化粧品メーカーが本格的に進出してきたのは、外国化粧品メーカーの国内自由販売が開始された1952 年からです。1949 年のマックスファクターを皮切りに、1958 年にジョンソン&ジョンソン、1963 年にレブロン、ロレアル(ヘアケア事業) などが日本市場への参入を果たしました。マックスファクターとレブロンは一時、日本市場において急激にシェアを拡大していきましたが、結局、資生堂や、カネボウといった国内大手メーカーには及びませんでした。
その理由としては、売上増を求め百貨店にとどまらず化粧品店、薬局、スーパー・マーケットへとマス展開した結果、ブランドが大衆化し、マス展開で先行する資生堂など巨大国内メーカーとの差別化ができなくなったことがあげられます。そんな中、1978 年に皮膚化学を取り入れた化粧品として日本に上陸したクリニークは、既存の外資系化粧品メーカーとは異なったブランド戦略を取り入れ、日本市場で成功を収めました。クリニークは、日本の化粧品市場に、初めて米国流のブランドビジネスを持ち込んだのです。(続く)
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