2005年12月17日

花王・カネボウ統合Vol.2:統合劇の発端

今回の一連の統合劇の発端は、2年前の秋にさかのぼります。

2003年10月23日、日本の化粧品市場においてシェア2位のカネボウは同3位の花王と両社の化粧品事業を統合することで合意したと発表しました。両社は共同出資で新会社を設立し、カネボウは化粧品事業を新会社へ移管、3年後を目処に花王も化粧品事業を新会社に移すというものでした。このニュースはとても衝撃的だったのを憶えています。

事業の選択と集中のため特定事業を切り離し、他社と統合させることは産業界では珍しくありませんでしたが、中核事業以外を切り離すケースが大半である中、カネボウは中核の化粧品事業を分離する決断をしたのです。 カネボウは、どうしてそのような決断に至ったのか、そこには、歴代経営者の拡大経営の失策がありました。

カネボウは戦前、繊維業の名門でした。昭和11年当時カネボウ(当時:鐘淵紡績)は日本の民間企業では売上第1位の企業であり(下表)、「大鐘紡」経営のもと、繊維工業から重工業、化学工業を束ねる鐘紡コンツェルンを形成していきました。

化粧品業界
※日本製鉄は官営会社。単位百万円
出所:三菱経済研究所「本邦事業成績分析」

終戦後、繊維業中心の事業展開に戻りましたが、オイルショックを契機に安定収益の確保を目指して多角化を進め、1960年代までに、繊維、化粧品、薬品、食品、住宅の五つの事業を柱とするペンタゴン経営を展開、業績不振部門があっても好調事業で補う仕組みを作りました。(化粧品事業は、鐘淵化学から買収する形で参入) 

しかし実際は、化粧品事業の利益だけが突出して多く、他の事業の赤字を補う状況、とりわけ本業だった繊維事業が弱体化し、巨額の赤字を垂れ流して全体の足をひっぱっていました。その多角化経営の失敗は明らかでしたが、歴代の経営者は決断なきまま多角化を引きずってきたと言えます。資産売却や資産再評価によって決算を取り繕ってきましたが財産は売り尽くしていました。

そして2003年3月末には、連結有利子負債が営業キャッシュ・フローの219倍の5,057億円に達し、9月中間期には630億の債務超過になることが確実になっていたのです。

次号へ続く

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化粧品業界


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